はるのこころは
今年の総括をしたくて始めたブログではない。だが最初の記事は2016年の総括じみたものになる。
お気に入りのブログタイトルを思いついてしまった以上、開設せざるを得なかった。
新幹線内での暇つぶしがてら、
2016年アイドルに絡めて思ったことから一つ、手短に書く。
卒業と死について。
2016年は迎えるべくして迎えた幸せな年だった。
5月、自分の誕生日の翌日に飼い犬の死。
9月、祖父の死。
21年の人生において初めて、愛を注いだ人や犬が旅立った。
7年のアイドルオタク人生において初めて推しが、しかも立て続けに巣立った。
幸いにも四者四様に死や卒業を前もって意識させる構造や状況の中にいたため、思いを巡らす時間は充分にあった。
使い古された言葉でいえば「いなくなって初めてわかる云々」であり、これを実感することで初めて、「いなくなる」前の日常への視線を再考できた。
思えば2016年、入ったアイドル現場の過半数が卒業絡み。
1〜3月のさくら学院Road to Graduationや歌の考古学からの卒業式、6月頭のBiSHハグミィ卒業も含めようか、そして同月に静岡エコパアリーナ。
年度始め5月の転入式や11月の学院祭、記憶に新しい12月わーすたツアーファイナルなど、純に素直な、活気に満ちたライブの方が今年の自分にとっては稀だったようだ。
こうしたスケジュールを過ごす中で別れというものと濃密に向き合えたことは実に幸せだった。
客観的には更新されず拡大もしない、主観的な再解釈の場たる過去に囚われるでもなく、
いずれ確実に、まだ時期は分からずとも訪れる「それ」と同一視した未来を怖れ思い悩むでもなく、
いまここに生きること
いまここに生きることにまず目を向ける姿勢が身につきつつあることを嬉しく思う。
人様から聞かされてきた「いまここに生きること」が、ようやく、実感と共に鉤括弧を外して腑に落ちた。五臓にも染み込んだ。
実感に立脚した想像の賜物だ。
強い実感は重さのある想像を生む。
もちろん実感から偽物かもしれないが、それ以上に想像は疑わしい。
その素晴らしさを楽しみつつ、慎重にありたい。
新横浜は過ぎた。だいぶ前に過ぎた。
いつか深川めし以外の駅弁も食べてみたい。