わのなな、ねぇ愛してみて、今ツアー

 

ねぇ愛してみて、という曲がある。

わーすたの今を語る上で欠かせないであろうこの曲について、ずっと書きたいと思ってきた。西へ向かう道中、少しだけ書いてみる。

 

この曲は確か、2017年4月22日のわーすたフルバンドワンマンにて、アコースティックver.で初披露された。Stay with me babyも同日に初めての披露。それ以来しばらく、セットリストの中でこの2曲は対をなすものとして扱われていたように思う。昼に片方をやれば、夜にもう片方、といった具合に、同日にお披露目された愛を歌う2曲としての認識がファンの中に形作られていったのではないか。

私はいくつかの理由から、最初からずっと"ねぇ愛してみて派"であり、今後わーすたにとって、ちいさなちいさなと並ぶような特に大切な曲になっていくように想像していた。

 

転機が訪れる。 

わーすた定期ライブ、わーすたランドわ-7でこの曲に対する認識がひとつ変わる。変わるというか新たな側面を見出すというか、深まるというか、気付くというか、とにかくもっともっと好きになった。

 

わのななの直前、わーすた所属レーベルiDOLStreetの研究生的メンバー、ストリート生が全員卒業した。私がそれについて知っていたことは正直あまり無く、わーすたや他グループのメンバーがここから輩出されたこと、各地にスト生のグループがあったこと、スト生の曲がいくつも存在し、そのうちのいくつかは私も好きなこと、ぐらいであった。 

わーすたもいた場所がなくなってしまう、寂しいなあ、といったぐらいの認識だった。

親しい友人が最後の壮行会に参加していたため話を聴きはしたものの、スト生を知る数々のファンの熱量には遠く達しない。当然だ。

 

その直後に行われたのが、わのななだった。 

ある程度予想していた通り、わーすたは昼の部と夜の部でそれぞれスト生曲を演ることを選んだ。昼に2曲、夜に2曲。昼が終わった時点で夜は3曲だろうと踏んでいたのでそこは意外だったが、スト生曲の披露自体は予想の範疇であった。これをもって当面はスト生曲を演らずにライブを組むのだろうかと予想もしており、それは今ツアーで外れたこととなるが、それは今したい話ではない。

 

胸を衝かれたのは、昼と夜にそれぞれスト生曲の後に続いた曲だった。

 

まず昼。スト生曲を2つの後に並んだのが、「ねぇ愛してみて」だった。

この曲は、一緒にいる君を、君の両親の出会いを、そのこれまでの全てを、「全部全部大好きだよ」と受け止めて愛する、大きな大きな受容と抱擁の曲だ。

この位置にこの曲を置いてくれたことが嬉しすぎて、1部2部の間の握手会で思わず廣川にその感謝を伝えてしまった。

 

そして迎えた夜。スト生曲の後に続いたのは、Just be yourself。

これが非常に大きかった。この曲について思うところを詳細に述べるのはまた別の機会として簡単にまとめるが、この曲は10年後30年後に視点を飛ばした上で、これから続いていく1秒1秒のイマを自分として「全力で愛していこう」そしていつか「笑顔でね、思い出そうよ」と歌う、終わらない期待と抱擁の曲だ。

 

わーすたもかつて歌ってきた、そして今後誰が歌うのかも分からないスト生曲の直後という同じ位置に、こんな意味を持った2曲がそれぞれ据えられた。その描くものの大きさはひたすら私を昂らせた。

あの位置にこの2曲を置くことで、スト生にこれまで携わってきた人々、ステージの上のみならず、ステージの裏や前にいた人々、ステージに想いを馳せた人々まで、その過去現在未来すべてをひっくるめて、彼女らは抱き締めてみせたのだ。

 

そしてわーすたが抱き締めた人々の中には、わーすた自身も含まれる。彼女たちはこうして自らをも抱き締めた。自分自身を抱き締め、そして他者をも抱き締める。これ以上の幸せがあるだろうか。

しかも、これをやってのけるグループの名前がthe world standardである。その先を語るにはまだ早い。

 

私はわのななの、これまでスト生とわーすたに関わってきた全ての人を掬い取り、これからわーすたが関わっていく全ての人を救ってしまうようなセットリストにひたすら頷くことしかできない。

これをもって私の中で、ねぇ愛してみては大きな受容と抱擁の曲としての色を極めて濃くした。

 

今ツアーでも、わーすたは各地でねぇ愛してみてを聴かせてくれている。地方では各メンバーがセットリストをアレンジしており、その意味もまた公演ごとに違ったものとなろう。

 

私はこの曲を親子の曲として聴くのが好きだが、ライブに入ればその度聴こえ方は変わる。人によってそれぞれのねぇ愛してみてがあるはずで、私はひとつでも多くそれに触れたい。とにかく好きな曲だ。

 

ツアーの2カ国、いや2カ所目まで、仙台と埼玉は台風の大雨だった。その後札幌も前日雪がちらつきとにかく寒かった。広島と名古屋は晴れたと聞いた。

Rainbowは 雨の真隣 君と長靴でお出かけ

神戸の天気予報は見ないまま、新幹線に乗り込んだ。

 

 

救われちゃった

 

探していたものは、見えないものだった。

 

つまらない話なので手短に書く。

 

日付にして昨日、わーすたLIVETOUR2017~パラドックスワールド~の埼玉公演に参加してきた。これはつまらなくない。めちゃくちゃに面白い。楽しいし面白い、工夫の散りばめられた良いライブだ。ライブ本編の話はこの記事ではほぼ扱わない。

 

さて埼玉公演。全国9都市を回るツアーの2日程目。初日は台風の迫る中、仙台で先週行われた。これが盛り上がった。初日、遠征、そして大嵐という諸条件が重なったのが効いたか、フロアの熱は凄まじいものだった。

 

1週間が過ぎ、場所は熊谷に移る。またしても雨。台風。

 

そもそも先週に敵うはずがない、そんな諦念は薄らながら自分の中にあった。

初日特有の熱はない。ファンの大部分の供給源である東京からは、近くて遠い。遠征の気分にはならない範囲で遠いのだ。そして天候も同じく台風ではあるが、圧倒的に弱い。新幹線を止め高速道路を封鎖するほどだった先週の大嵐には敵わない。

 

そして何より、埼玉なのだ。

 

埼玉県育ちだからこそ身に染みて分かる、この土地には誇りがない。

「埼玉には何にもないからね」と他所の出身者のみならず、この土地の人間ですら平気で言う。私もその一人だ。

地元を誇る気がない。これは恐らくシンボルの不在にひとつ因る。

大きなものならばなんとかタワーやビル群、港や海山川、雪や火山灰などだろうか、

小さなものならばお笑いでも市民に根付いた野球チームでもジンギスカンでも通りもんでもひつまぶしでもよい。

 

埼玉にはそれがない。一言で言うなら他所の人に自慢できるものがない。

クレヨンしんちゃんが春日部にいることは自慢できるだろうか。スーパーアリーナは大きくとも自分たちの誇りになるような土地への馴染み方はまだしていない。

関西やイタリアの人々と縁の多い人生を過ごしてきたが、彼らは地元を愛している。土地という大きなものに抱かれている。自分は彼らに及ばないという寂しい諦めを抱えて生きてきた。羨ましかった。

 

そんな自分の地元、埼玉にわーすたがやってきた。熊谷は正直地元からは遠いのだが、それでも埼玉県に彼女たちはやってきた。

 

 ここまで書いてすでに手短ではなくなってきたので乱暴に結論に繋ぐが、結果として、もう大阪人も関西人もイタリア人も羨ましくなくなった。

 

シンボルなんて必要ないのだ。象徴なんて要らない。もちろん象徴的なものが与えてくれる恩恵を軽視する気は毛頭ない。あったら分かりやすくて良いのかもしれないが、それがないと土地が成立しないなんてことはない。

 

シンボルがなくとも自分はこの土地が好きだし、ここにいる人々が好きだ。自分もこの土地に抱かれてきた。その事実だけで充分であると気付いた。そしてこれは他のあらゆる土地で起こりうることで、象徴うんぬんの議論は全くクリアされていないという突っ込みもあろう。

 

象徴がないにも拘わらずこの土地に抱かれている実感に辿り着けた。

というよりかは、この土地に根差しているという実感は、象徴がなくても肯定して良いものだと気付けた。充分だ。

短絡的かつツアータイトルに絡めたことを言ってしまえば、象徴が無いことが象徴化している、という逆説がここにある。

ネガティブに冗談めいてこのようなことを口にしたことは恐らく何度もあるが、今回確かな実感を伴ってこれをポジティブな象徴として捉えられた。

 

象徴が無い土地に育ったからこそ、他所の土地のシンボルに触れたときに人と違う何かを感じ得る可能性に開かれている。

 

好きな人たちが地元に来るということを恐らく初めて体験したし、そこで何が起こるのかも味わってしまった。これが残りのツアー先の都市の人々にもきっと起こり得るし、松田がMCで誤って残り6カ国と言っていたように、これから先世界の行く先々でこの子達はそれを起こす。受容することを歌うことの多い彼女たちは、これからどこの誰の何の受容を喚起するのか。

 

平たく言えば、自分は救われちゃったのだ。この土地を受容することができた。

 

そんなことを考えていたら昼の部開演5分前にはちょっぴり泣いてしまったし、1曲目このツアーのコンセプトである最上級ぱらどっくすでも「探してるものは見えないものかも」と三品が歌う。

 

探していたものは、見えないものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はるのこころは

 

今年の総括をしたくて始めたブログではない。だが最初の記事は2016年の総括じみたものになる。

 

お気に入りのブログタイトルを思いついてしまった以上、開設せざるを得なかった。

 

新幹線内での暇つぶしがてら、

2016年アイドルに絡めて思ったことから一つ、手短に書く。

 

  

卒業と死について。

 

2016年は迎えるべくして迎えた幸せな年だった。

1月に深川麻衣乃木坂46からの卒業を発表。

3月に磯野莉音さくら学院から卒業。

5月、自分の誕生日の翌日に飼い犬の死。

6月に深川麻衣卒業コンサート

9月、祖父の死。

 

21年の人生において初めて、愛を注いだ人や犬が旅立った。

7年のアイドルオタク人生において初めて推しが、しかも立て続けに巣立った。

 

幸いにも四者四様に死や卒業を前もって意識させる構造や状況の中にいたため、思いを巡らす時間は充分にあった。

 

 

使い古された言葉でいえば「いなくなって初めてわかる云々」であり、これを実感することで初めて、「いなくなる」前の日常への視線を再考できた。

 

思えば2016年、入ったアイドル現場の過半数が卒業絡み。

1〜3月のさくら学院Road to Graduationや歌の考古学からの卒業式、6月頭のBiSHハグミィ卒業も含めようか、そして同月に静岡エコパアリーナ

 

年度始め5月の転入式や11月の学院祭、記憶に新しい12月わーすたツアーファイナルなど、純に素直な、活気に満ちたライブの方が今年の自分にとっては稀だったようだ。

 

こうしたスケジュールを過ごす中で別れというものと濃密に向き合えたことは実に幸せだった。

 

客観的には更新されず拡大もしない、主観的な再解釈の場たる過去に囚われるでもなく、

 

いずれ確実に、まだ時期は分からずとも訪れる「それ」と同一視した未来を怖れ思い悩むでもなく、

 

いまここに生きること

 

いまここに生きることにまず目を向ける姿勢が身につきつつあることを嬉しく思う。

 

人様から聞かされてきた「いまここに生きること」が、ようやく、実感と共に鉤括弧を外して腑に落ちた。五臓にも染み込んだ。

 

実感に立脚した想像の賜物だ。

強い実感は重さのある想像を生む。

 

もちろん実感から偽物かもしれないが、それ以上に想像は疑わしい。

 

その素晴らしさを楽しみつつ、慎重にありたい。

 

 

 

新横浜は過ぎた。だいぶ前に過ぎた。

 

いつか深川めし以外の駅弁も食べてみたい。